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前回の記事では、首都キエフにある「ウクライナ国立チェルノブイリ博物館」の紹介をさせてもらいました。
正直明るい話題ではないため、読みたくない方もいるかもしれませんね。。。
まだ福島原発の事故から6年半しか経過しておらず、当時のことを思い出すだけで体調を崩してしまう方もいるわけで。
そういった方々はどうか無理をなさらず。
今回は、実際にチェルノブイリ原発とその周辺の今は誰も住めなくなった街へ行って来たので
主に写真を通して皆さんに何かを伝えられたらなと思っています。
ここで簡単にチェルノブイリ原発の事故について振り返っておきましょう。
事故当時私はまだ3歳。当時の記憶は当然ありませんが、幼少期から一貫して「チェルノブイリ=大変な事故がおきた場所」という認識を持っている世代ではありました。
ところが、2011年3月当時福島原発の半径100km以内に住んでいた私は、人生でこれまで味わったことのない不安の中で日常が音を立てて崩れてゆくのを実際に身をもって体験しました。
それ以降、チェルノブイリ原発事故にも改めて興味を抱くようになりました。
自分のまとめよりWikipediaを読んでいただいた方が正確に伝わるのでお時間のある方は是非。概要を抜粋し引用しました。
当時、チェルノブイリ原子力発電所にはソ連が独自に設計開発した黒鉛減速沸騰軽水圧力管型原子炉(RBMK) のRBMK-1000型を使用した4つの原子炉が稼働しており、そのうち4号炉が炉心溶融(俗にいう「メルトダウン」)ののち爆発し、放射性降下物がウクライナ・白ロシア(ベラルーシ)・ロシアなどを汚染した、史上最悪の原子力事故とされた。
1991年のソ連崩壊以後は原子力発電所が領土内に立地しているウクライナに処理義務がある。2013年現在もなお、原発から半径30km以内の地域での居住が禁止されるとともに、原発から北東へ向かって約350kmの範囲内にはホットスポットと呼ばれる局地的な高濃度汚染地域が約100箇所にわたって点在し、ホットスポット内においては農業や畜産業などが全面的に禁止されており、また、その周辺でも制限されている地域がある。
事故当時、爆発した4号炉は操業休止中であり、外部電源喪失を想定した非常用発電系統の実験を行っていた。この実験中に制御不能に陥り、炉心が融解、爆発したとされる。爆発により、原子炉内の放射性物質が大気中に量にして推定10t前後、14エクサベクレルに及ぶ放射性物質が放出された。これに関しては、広島市に投下された原子爆弾による放出量の約400倍とする国際原子力機関 (IAEA) による記録が残されている。
当初、ソ連政府はパニックや機密漏洩を恐れこの事故を内外に公表せず、施設周辺住民の避難措置も取られなかったため、彼らは数日間、事実を知らぬまま通常の生活を送り、高線量の放射性物質を浴び被曝した。しかし、翌4月27日にスウェーデンのフォルスマルク原子力発電所にてこの事故が原因の特定核種、高線量の放射性物質が検出され、近隣国からも同様の報告があったためスウェーデン当局が調査を開始、この調査結果について事実確認を受けたソ連は4月28日にその内容を認め、事故が世界中に発覚。当初、フォルスマルク原発の技術者は、自原発所内からの漏洩も疑い、あるいは「核戦争」が起こったのではないかと考えた時期もあったという。
日本においても、5月3日に雨水中から放射性物質が確認された。
爆発後も火災は止まらず、消火活動が続いた。アメリカの軍事衛星からも、赤く燃える原子炉中心部の様子が観察されたという。ソ連当局は応急措置として次の作業を実行した。
- 火災の鎮火と、放射線の遮断のためにホウ素を混入させた砂5000tを直上からヘリコプターで4号炉に投下。
- 水蒸気爆発(2次爆発)を防ぐため下部水槽(圧力抑制プール)の排水(後日、一部の溶融燃料の水槽到達を確認したが水蒸気爆発という規模の現象は起きなかった)。
- 減速材として炉心内へ鉛の大量投入。(炉心にはほとんど到達しなかった。)
- 液体窒素を注入して周囲から冷却、炉心温度を低下させる。(注入したときにはすでに炉心から燃料が流出していた。)
この策が功を奏したのか、一時制御不能に陥っていた炉心内の核燃料の活動も次第に落ち着き、5月6日までに大規模な放射性物質の漏出は終わったとの見解をソ連政府は発表している。
砂の投下作業に使用されたヘリコプターと乗員には特別な防護措置は施されず、砂は乗員が砂袋をキャビンから直接手で投下した。作業員は大量の放射線を直接浴びたものと思われるが不明。
下部水槽(サプレッション・プール)の排水は、放射性物質を多く含んだ水中へとソ連陸軍特殊部隊員数名が潜水し、手動でバルブを開栓し排水に成功した。
爆発した4号炉をコンクリートで封じ込めるために、延べ80万人の労働者が動員された。4号炉を封じ込めるための構造物は石棺(せきかん / せっかん)と呼ばれている。
事故による高濃度の放射性物質で汚染されたチェルノブイリ周辺は居住が不可能になり、約16万人が移住を余儀なくされた。避難は4月27日から5月6日にかけて行われ、事故発生から1か月後までに原発から30km以内に居住する約11万6000人全てが移住したとソ連によって発表されている。しかし、生まれた地を離れるのを望まなかった老人などの一部の住民は、移住せずに生活を続けた。
放射性物質による汚染は、現場付近のウクライナだけでなく、隣のベラルーシ、ロシアにも拡大した。
『ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典』 より抜粋
更新日時:2017年7月30日 (日) 11:11
Contents
チェルノブイリ原発への行き方
今はツアーに申し込まない限り現地入りするのは相当難しいようです。というか違法ですね。
チェルノブイリ50km先からキャンプ道具を持って徒歩で侵入する現地の人はいるみたいですが
さすがにお勧めできません。正当なルートで行きましょう!
キエフ市内でチェルノブイリ行きを扱っているのがここ。
「Solo East Travel」です。
小さなオフィスですが従業員がとても親切です。
値段は日によって大きくばらつきがあり
89-159米ドルくらいを考えていてください。
できればネットで早めに確保した方がいいですね。
直近はいずれも高いので。できれば予定日の1週間前までには予約しておきたい。
我々は4日ほど前に直接事務所で申し込みました。一番安い日を選んで、一人89米ドルですみました。
スケジュールは
朝8時に独立広場前のマクドナルドのあたりに集合で15分に出発。昼食付きで、長袖長ズボンでの参加になっています。
ツアースタート
まず、ツアー参加者の印を手首に巻きつけます。
チェルノブイリまでは120kmほど。バス車内では、ガイドが過ぎ行く景色をいちいち説明。
その他の時間はチェルノブイリに関するビデオの上映になってます。
リスニング能力に自信がない私は日本語の方がより理解が深まると感じたので道中ずっとwikipediaを読んでいました。
たかがwikiとあなどることなかれ。かなりの情報量です。
もちろん、博物館で得た知識と改めてリンクして行きます。
バスを走らせること約2時間で検問所へ到着。
ここではパスポートチェックと荷物チェックがあります。
チェルノブイリから30km離れており、この内側からが立入禁止区域になっています。
この検問所の位置する町には人が住んでいるそうです。放射性物質の排除を主な任務にしているそうですが
アルコール依存症や鬱病の方が多いことで知られているそう。
検問所を抜けると、バスを路肩に止めて茂みに分入ります。
草も生え放題の手付かずの自然に
人間の手を離れた馬の群が
変な生き物をみたかのように、むこうもこちらを眺めていました。
動物たちのパラダイスとなったこの場所では、アライグマやビーバーやイタチ、狐やヘラジカなど数多くの動物たちが
暮らしているそうです。
30km圏内の様子。ここは村だった場所
原発から19km離れたZalyesye村へ。
ここにはかつて、三千人が暮らしていたようです。
木々が自在にはえ、森のようになっている場所にかつての生活の名残がちらほらと。
かつて家だった場所、文化センターだった場所へ土足であがり
そこで暮らしていた人たちに思いをはせます。
そしてバスへと戻り
チェルノブイリ市内へ向かいます。
チェルノブイリ市内
土壌環境によって原子力発電所を置くことが決まり、1971年から着工。
現在は、一部のホットスポットを除けば放射線濃度は高くなく
多くの作業員が暮らしています。
事故後すぐに駆けつけた解体作業者たちの記念碑です。
この消防士たちは当時、事故の大きさを理解していませんでした。
ソ連自体がそういったことを全て隠した上で作業に当たらせたからです。
「世界を救った人々へ」と書かれた記念碑をみて、胸が熱くなるのと同時に
「事実を知っていてなお、職務に殉じただろうか」と
やるせなさばかりが募りました。
キツツキへ
1970年代につくられた、超巨大水平線レーダー「Duga-1」と呼ばれるこのシステムは
高さ150m、幅500m、重量14000トンに達しました。
敵国の弾道追跡目的で作られたそうです。
見た目の通りものすごく強い出力を持ち
短波を放出した際の音の特徴から
「キツツキ」と呼ばれるようになったのだとか。
無数のアンテナが残っています。
ものすごい金をかけて建設したこのDUGA
しかしこの施設に欠陥があり、その事実を隠すために人為的にチェルノブイリ事故を起こしたのでは?
という陰謀論的な映画もあるようです。→「ロシアのキツツキ」
真偽はわかりませんが、当時のソ連の対応や情報隠蔽システムには信用できない部分も多く
このような説が浮かんでも致し方ないのかなという感じですね。
さて、長くなりました。
後編では、より内部にある廃墟と化した町を
じっくりと紹介したいと思います。
それでは。
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